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意見の仕方、物の考え方

 

今日が国立の二日目で友達の多くは入試が終わり久々にごはんに行ったり、一緒にゲームしたりと楽しい今日この頃です。自分はAO.推薦で年内には進学先も決まっていた頃がもうかなり昔のように感じますね。もちろん一般入試を受験する友達の方が多いので色々人の結果を聞きますが本当に受験の残酷さを思い知らされます。そこで今回は意見の仕方について考えさせられたので書きたいと思います。

 

考え方やそれを意見する場合には幾つかある。(帰納法演繹法、感情論、一般論etc)

私はこれらの方法を場合によって使い分けるべきであると考えている。例えば最初に書いた受験について。以前から自分の通っている高校についての不満は何度か書いてきたが、私の高校では6割弱が内部進学でその他は主に専門学校や就職など様々である。高校3年になったにも関わらず勉強を始める人はほぼ居なく、夏休み前の通知表を渡されたタイミングで急に焦りだすような人が多かった。それにもかかわらず彼らは中堅大学へ内部進学で進学してしまうのだ、多くの人は希望通りの学部に希望通り入れる。もちろん中にはテストで点が取れず進学できない人もいた。自分はその人達のことを"努力してきたいのだから当たり前、自業自得"だとか"この学力で進学しても大変だろうな"みたいな形で常に見下してきた。また受験に関してのアドバイスを求められることが多いが自分は"一般論"で解答する。またいい結果が得られなかった人(インターネットで出会った自分と利害関係が少ない人)に対しては一般論で厳しい現実的なことを常に言ってきた。しかし自分の中学時代の仲のいい友達が受験に失敗した際にはその様な現実的なことは全く考えられず、感情的になって本気で心配したり応援したりしていた。

 

もし自分の友達と同じ状態の人にインターネット上や議論の場で意見を求められたら非常に冷たく厳しい正論(努力不足とか)をぶつけていただろう。

つまり感情論的な意見と一般論を正確に使い分けることが必要なのである。

仲のいい友達や家族、自分の大切な人に対して思いやりのない言動をぶつけるべきではない。それは人間関係を壊しかねないし、自分の意見が正しいと証明することができても何も得るものはないだろう。

一方で何かの解決策を考える場面や議論では感情論を極力抑えることが大切であると感じた。以前テレビの討論番組でネットイジメを無くす提案を某著名人が提案した意見に対し政治家が「そんなことイジメられて亡くなった遺族の前で言えますか?」と感情論を言っているのをみて"さすが政治家だ・・" と感じたのを覚えています。

感情論を考慮しなから何かを解決するのは難しいし、結果が抽象的になってしまう印象がある。

 

自分は皆が空気を読んでる状況を見てそこに皆が思っているけど言えない、言わないような意見をあえて言うことで空気を壊すみたいなことをしてしまう人間なので議論以外の場所では抑えて思いやりのある言動を心がけなければ。。